見知らぬ海へ(隆慶一郎)
『冗談じゃないさ。間違いなく海はお主の味方だ。お主は海の申し子だ』
この作品で特に爽快な気分になったのは、鬼作左こと本多作左衛門重次が向井正綱を口説くこのシーンと、小田原合戦で秀吉の面前で行われた、石田三成による向井正綱と長宗我部元親への審問のシーンである。
どちらも自由人である海人の気質を最大限に表現した、胸のすくいい気分になる場面である。もちろん他にも素敵な場面はたくさんある。読んでいてとても気持ちのいい作品である。
・海の上では自由人である海賊(水軍)
・隆氏の作品に共通している自由人をモチーフにした作品
・ユートピアへの憧れ
いろいろと気ぜわしく、世のしがらみに絡めとられ思うようにいかない身としては、とても素敵な世界が繰り広げられている。せめて小説の世界の中だけでも、自由な気持ちを味わいたいというのは、あまりに狭量だろうか。
実は隆氏は小説家として活動していたのは5年程度のこと。
作品もそれほど多くはない。
文庫化されているものでは、
・吉原御免状
・鬼麿斬人剣
・かくれさと苦界行
・柳生非情剣
・一夢庵風流記
・影武者徳川家康
・捨て童子・松平忠輝
・柳生刺客状
・死ぬことと見つけたり
・花と火の帝
・かぶいて候
・駆込寺蔭始末
・見知らぬ海へ
・風の呪殺陣
といったところ。
どれも自由人をモチーフに気持ちが晴れやかになる作品ばかりである。
惜しむらくは、隆氏の急逝により「見知らぬ海へ」が未完成に終わっていることか。この作品で言えば、オランダ船「リーフデ号」が登場し、ウィリアム・アダムスや、ヤン・ヨーステンとの本格的な関係が始まる前で終わってしまっており、先の展開が気になって仕方がない場面で本を閉じざるを得ないのである。
この他にも、「死ぬことと見つけたり」、「花と火の帝」も未完成であり、どれもいいところで終わっている。仕方がないことではあるが、気持ちだけ高ぶらせて、いざこれから!という場面で、帰ってしまった彼女を見送っているような気分になってしまう。。。
それはともかく。
鬼作左が言った『たって云うなら、海の家来か』
正綱が三成に向かって言った『水軍の作法は水軍にしか判りません』
そして、同席していた海賊大将が全員それに同意している場面。
三成が正綱を罰せようと強引に話を持っていこうとするのを、
九鬼嘉隆が冷たく反抗する場面。
いずれも何にも縛られない海人への憧れと豪快な男たちへの敬意を感じてやまない。
世知辛い世の中ではあるけれども、本の中の世界だけではなく、「見知らぬ海へ」向かっていく気持ちを忘れてはいけないというメッセージを強く感じる。
『こわいのは少しも恥ではない。船酔いと同じさ。作業に差し障りがなければ、なんでもないんだ』
先が見えないと恐怖を感じるけれど、そんなのは当たり前のことなんだ。
この本を通じて、見知らぬ世界に進む自分たちを正綱が応援してくれている。
久しぶりに読んだけど、やっぱり素敵な本でした。
んじゃ。